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乗蓮寺(じょうれんじ)、東京大仏   MAP 3-B2
 
 
浄土宗 (別格本山)赤塚(せきちょう)山 慶学院 乗蓮寺
ご本尊 
所在地 赤塚5丁目-28-3
交 通 東上線下赤塚駅、成増駅から徒歩約20分
    成増駅北口から赤羽行きバスで赤塚八丁目下車徒歩3分
  歴史
今から600年前の室町時代の応永年間(1394〜1428)に了賢無的和尚が当時草深い下板橋、山中村(現在の仲町44辺り)に草庵を結び民衆を教化したのが始まり。安土桃山時代の末期に旧中仙道沿いの仲宿に移転しました。天正19年11月(1591)徳川家康より10石の朱印地を賜り、代々の将軍がそれを踏襲し、寛保3年(1743)4月7日八代将軍吉宗が鷹狩の際、雨やどりしたのが縁となって、後に将軍家休憩御善所に指定され、板橋宿きっての由緒ある大寺となりました。 境内の閻魔堂は近隣にその名を知られ多くの信仰を集めていました。 鉄拐仙人像(てつかいせんにん)、がまん像、役小角(えんのおずぬ)、奪衣婆(だつえば)、文殊菩薩などの石仏像は、藤堂高虎が朝鮮に出兵した時に持ち帰ったものといわれ、明治になって藤堂家ゆかりの人から当寺に寄贈されたものです。 戦中から戦後にかけて国道17号線の拡張工事や、特に高速道路の建設により寺域が半減するに至り、現在地の赤塚城二ノ丸跡に移転しました。昭和46年より7年の歳月を費して全山の移転が完了し、阿弥陀如来露座像(通称東京大仏)は日本第三位の大仏といわれ、千葉一族、日清・日露戦争、第2次世界大戦戦没者を供養するため建立され、昭和52年(1977)4月11日に開眼しました。
閻魔堂(えんまどう)
正面入り口右のお堂の中に、木造彩色の閻魔王座像、同じく左に脱衣婆坐像が置かれています。この閻魔王は文珠院の閻魔王とともに、板橋二大閻魔として信仰されています。

東京大仏
本堂向かって右側の青銅製阿弥陀如来露座大仏で、総高13m、体長(座高)8m、頭部の高さ3m、蓮座5m、総重量32t。 寺が赤塚城二ノ丸跡へ移転したときに千葉一族、日清・日露の戦没者、第二次世界大戦の戦没者を供養するために建立したものです。 日本三大仏のひとつと言われ、乗蓮寺の代名詞のような存在で、多くの人の信仰を集めています。

がまん像
山内にある鉄拐仙人像(てつかいせんにん)、がまん像、役小角(えんのおずぬ)、脱衣婆、文殊菩薩などの石仏は、藤堂高虎が朝鮮出兵の時に持ち帰ったといわれ、明治になって藤堂家ゆかりの人から寄進されたものです。

植村直己

板橋に住んだ世界的な冒険家植村直己のお墓が本堂向かって左側の墓地にあります。植村直己は昭和16年(1941)兵庫県日高町の生まれで、明治大学山岳部に入部以来世界5大陸最高峰登頂、犬ぞりによる北極圏の完全走破などに成功。昭和59年(1984)年にマッキンリー冬期単独完全登頂成功後に消息を絶ちました。 墓石には詩人草野心平による追悼の詩が刻まれています。
(板橋区教育委員会資料より)